2004年から採用されているなでしこジャパンの由来は、アテネオリンピックアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の際に「大和撫子」(やまとなでしこ)という言葉がよく使われたことと、その大和撫子が「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「大和」が「ジャパン」となったものである。
98キロバイト (9,325 語) - 2022年8月2日 (火) 13:56

(出典 www.jfa.jp)



1 jinjin ★ :2022/08/01(月) 22:45:32.32ID:CAP_USER9
なでしこの観客わずか901人 かつては2万人超も 集客の課題山積


日本が男女そろって優勝した7月のサッカー東アジアE―1選手権は、スタジアムに空席が目立った。

昨年10月の池田太監督の就任後、国内でのお披露目となった女子のが優勝を決めた26日の中国戦の観客は、わずか901人だった。


なでしこのFW植木理子(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)は試合後、「代表戦をいろんな人の目や耳に届くスポーツにしないといけない。もっとたくさんの人に見てほしかった」と危機感を募らせた。
女子のプロリーグ、WEリーグの岡島喜久子チェアも27日、「他国の試合も観客数が少なく、女子サッカー全体に興味を持ってもらえなかった」と語った。


男女それぞれ4カ国・地域が参加した今大会は、中国が新型コロナウイルス対策を理由に開催を断念し、4月に急きょ、日本開催が決まった。
会場が約4万人収容のカシマスタジアム(茨城県鹿嶋市)と約4万4000人の豊田スタジアム(愛知県豊田市)に決まったのは5月。
日本サッカー協会によると、1日2試合ができ、男女8チーム分の練習場とホテルが確保できるなどの条件から選んだ。新型コロナ対策で、スタジアムの収容率の上限は50%に設定した。


19日夜の男子の日本戦と同じカシマで夕方に開いたなでしこの初戦は2221人、男子も4980人にとどまった。

男女とも「国内組」が中心で、都心部から遠い会場、平日開催など複数の要素が重なったが、平日の20日にあったパリ・サンジェルマン―J1川崎戦が東京・国立競技場で改築後最多の6万4922人を集めたのとは対照的だった。

その後、豊田に移った男子の日本戦は1万526人、1万4117人と増えたが、3試合ともカシマ開催だった女子は1051人、901人と減っていった。


E―1選手権が日本で開催された2010年は「なでしこブーム」前だったが、男子と別の日に東京・味の素スタジアムで開かれたなでしこ戦は3000人以上が集まった。
11年ワールドカップ(W杯)で初優勝し、12年ロンドン・オリンピック前に男子と同じ東京・国立で同じ日に実施した壮行試合は2万人を超えた。

12年はなでしこ単独で仙台や神戸で開いた試合でも1万人以上を集めた。
その後は下降線をたどったものの、E―1選手権が再び日本で開かれた17年は男子とは別会場ながら、千葉・フクダ電子アリーナで3試合とも3000人以上を集めた。


一時期のなでしこブームが去り、昨年は4月のパラグアイ戦が818人、6月のウクライナ戦は796人と苦境が続く。
代表の「強さ」だけでなく、開催方法を含めて集客面の課題は山積している。


https://news.yahoo.co.jp/articles/1cfd0132f02569b6081b39734eef33c86cafeb4e

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